第1章  2003年以降20年間の会社の推移

当社は1953123日、戦後の急激な経済成長を遂げる環境の中で、航空の自由が取り戻されつつあった時代に

九州電力株式会社・株式会社西日本新聞社・西日本鉄道株式会社の三社の共同出資により誕生した。

創業当初は、当時米軍基地があった現在の福岡市東区の雁ノ巣飛行場で、軽飛行機2機とヘリコプター1機の合計3機で、

報道取材、薬剤散布、送電線巡視等の事業からスタートし、ドクターヘリの運航受託ほか時代のニーズに対応した事業展開を行いながら、

以後、70年間に亘り九州内を中心とした事業を行ってきた。

歴代社長

事業推移(2003年以降)

・2003年(平成15年)

 3月 固定翼事業から撤退

・2004年(平成16年)

 10月 宮崎県防災機受託運航開始

・2005年(平成17年)

 2月 朝日・読売新聞へ東側小型格納庫賃貸開始

 9月 熊本営業所廃止

・2006年(平成18年)

 3月 固定翼事業から撤退

・2009年(平成21年)

 3月 宮崎県防災機受託運航契約終了

 3  南九州報道(KKB鹿児島放送、KAB熊本朝日放送、UMKテレビ宮崎専用契約)契約終了

・2010年(平成22年)

 4月 国土交通省九州地方整備局防災機「はるかぜ」受託運航開始

・2012年(平成24年)

 1月 熊本県ドクターヘリ運航開始

 4月 宮崎県ドクターヘリ運航開始

 8月 長崎県医療搬送システム(NIMAS)受託運航開始

 10月 大分県ドクターヘリ運航開始

・2013年(平成25年)

 3月 南九州報道(MBC南日本放送、MRT宮崎放送)の契約終了 これに伴い鹿児島運航所を廃止

・2014年(平成26年)

 1月 佐賀県ドクターヘリ運航開始

・2015年(平成27年)

 6月 50万ボルト日向幹線新設工事の物輸開始

 ・2017年(平成29年)

 3月 農薬散布事業から撤退、事業場認定における飛行機(セスナ)整備業務の削除

 3月 読売新聞社、当社格納庫賃借契約終了

・2018年(平成30年)

 3月 共同通信社の優先契約終了

・2019年(平成31年、令和元年)

 12月 山口県消防防災ヘリ、当社運航開始

・2020年(令和2年)

 3月 板付基地から奈多ヘリポートの福岡基地へ全面移転

 3月 NIMAS事業終了

・2021年(令和3年)

 7月 高精度静止画カメラ(HRIS)による送電線巡視、架空地線点検の開始

機体の導入・変遷(2003年以降)

・2003年(平成15年)

 3月 セスナ2機売却

・2009年(平成21年)

 7月 FBS福岡放送報道機 BK117C2JA05CF)に変更

・2010年(平成22年)

 4月 国土交通省九州地方整備局防災機「はるかぜ」 B412EPJA6784)受託運航開始

・2011年(平成23年)

 9月 TNCテレビ西日本報道機BK117C2JA08CH)に変更

・2012年(平成24年)

 1月 熊本県ドクターヘリ運航開始 BK117C2JA015W

 4月 宮崎県ドクターヘリ運航開始 BK117C2JA016W

 8月 NIMAS受託運航開始 当社機B427BK117

 10月 大分県ドクターヘリ運航開始 BK117C2JA017W

・2013年(平成25年)

 2月 NIMAS機を当社機から先方購入機 B429JA6794)に変更

 2月 AS350BJA9873)売却(経年242か月、総飛行時間3,640H

 5月 B204BJA6027)売却、物輸機1機体制に(経年232か月、総飛行時間5,724H

・2014年(平成26年)

 1月 佐賀県ドクターヘリ運航開始 B429JA429D

 3月 AS350BJA9312)売却(経年322か月、総飛行時間7,960H

・2015年(平成27年)

 6月 物輸機2機目 B412EPJA018W)就航

・2016年(平成28年)

 10月 AS350B3JA019W)事業機編入(高経年巡視機の更新)

・2018年(平成30年)

 5月 ドクターヘリ仕様機7機目 BK117C2JA020W)就航

 10月 AS350BJA9495)売却(経年303か月、総飛行時間12,062H

・2019年(平成31年、令和元年)

 12月 山口県消防防災ヘリ「きらら」 AW169JA35AR)受託運航開始

・2020年(令和2年)

 2月 AS350BJA6050)売却(経年293か月、総飛行時間6,427H

 4月 旧NIMASB429JA6794)当社機に編入

・2021年(令和3年)

 9月 九州地方整備局機「はるかぜ」更新 AW139JA89HA

202312月現在 自社機(リース機体含む)

鏡ヘリポートの整備

鏡ヘリポートは九州南北の中間地点に当たる熊本県八代市に位置し、通常時はヘリコプターの燃料補給や休憩場所として利用、

大規模災害時には九州中部の重要な拠点となっている。(197711月運用開始)

このヘリポートの待機所及び燃料庫の老朽化対策としての更新工事を2017年度実施した。

また、2016年4月の「平成28年熊本地震」の災害対応実績を踏まえ、

鏡ヘリポートを九州中部の重要な大規模災害対応拠点として位置づけ、燃料貯蔵量を30本に倍増した。

工事については2017年5月22日に着工し、2017731に竣工。

NAST

NASTは、当社が独自に開発し2007年度に(社)日本航空技術協会の会長特別賞を受賞した基幹システム

「小型航空機の飛行記録管理システム」がベースになっている。

当社の本田整備士が開発したが、基幹システムであり業務上重要なシステムであるため、今後の永続的な維持管理を考慮し、

九電ビジネスソリューションズ(現QSol)に、当社のシステムをもとにプログラム開発を依頼した。

NASTという名前はNetwork of Aviation Safety Technologyの略だが、

西空のほか最初の導入メンバーである各社名の頭文字も反映されているとのことである。

当社での運用開始は整備管理などから順次行われ、運航部も含めた全体で本格的に開始されたのは201842日である。

当初は飛行記録管理や整備管理がメインだったが、運航管理関係も拡充され、飛行計画を入力すれば飛行監視も可能となり、

飛行手配から飛行命令、乗務割まで作成できる機能や、操縦士の資格管理、飛行終了報告の入力などの機能が追加された。

NASTの良い所はインターネットベースであるため、インターネットにつながる環境さえあれば、どこでも接続できる点である。

以前は出張先では専用のルーターを用意して、小型のノートPCで飛行記録を入力していたが、

NASTになってからは普通のWi-Fiでインターネット接続すれば使用可能となり、利便性が向上した。

また、ノートPCではなく、Windows OSのタブレットPCを使用している。

NASTはその後も同業他社に導入され、現在では10社、計224機にNASTのサービスが利用されているとのことである。

情報システム関係・情報セキュリティ関係

(1) 情報システム(NASTを除く)

当社で運用している主な情報システムについて、2003年度以降の変遷は次のとおりである。

200541日、九電シェアードビジネス(現QBP)が運営する経理システムの利用が、翌年9月には人事労務システムの利用が

九州電力グループ(以下、九電グループと表記)大で始まった。同年に航空機部品調達管理を目的とした自社運用の「貯蔵品システム」が

完成し、さらに20103月に重要装備品の修繕管理や航空燃料管理などの機能を追加して、「資材管理システム」に改称した。

20124月に九電グループのアクションプラン資料作成を目的に経営管理システム「エスベース」が完成し、

7年間の運用後、提出資料の変更に伴い20193月に利用を停止した。

20219月、㈱キューキエンジニアリング開発のパッケージシステム「EAST2」に、勤怠管理機能をカスタマイズし、

Webシステムとして構築し運用を開始した。

20224月、「資材管理システム」を「EAST2」にカスタマイズ構築(移設)して運用を開始した。

202310月、経費精算機能も「EAST2」にカスタマイズ構築して、運用を開始している。

(2) 情報セキュリティ

  従来情報セキュリティは総務課の一業務として各種対応を実施していたが、

  近年国内外でサイバー攻撃(コンピュータウイルス感染を含む)による深刻な被害が数多く報告されるなど社会的問題となっている。

このため、九州電力設備保全、ドクターヘリ、報道ほかの一端を担っている当社においても、情報セキュリティの強化を図るため、

20227月に企画総務部にシステム・情報セキュリティ担当を設置し、専従体制で取り組むこととした。

2022年度にはUSBフラッシュメモリなど外付けデバイスやソフトウェアのインストールを物理的に規制するとともに、

標的型攻撃メール訓練、インシデント訓練を実施し、サイバー攻撃対応力強化に努めている。

また、定期的に情報セキュリティ委員会を開催して訓練・教育計画や進捗状況のほか

最近のサイバーセキュリティに関する情勢やサイバー攻撃事例を報告・共有している。

今後、DXDigital Transformation)推進に向けて情報資産のデジタル化やネットワークの強化などをしつつ、

情報セキュリティの確保がますます重要になることから教育・研修の充実ほか更なる取り組みを進めていくこととしている。

 寄稿文

  どんなに時間がかかっても諦めなければ必ず成功する

情報セキュリティ・システム担当 水田 こずえ

200541日、九電シェアードビジネス(QBP)が立ち上がり、グループ大で経理システムの利用が始まりました。

私はこの導入の2カ月前に入社して経理課に配属されたのですが、

それまで紙面だった出張精算などの起票業務を初めてオール電子化したため、集団アナフィラキシーが起きました。

ワクチンを開発するかのような心持ちで焦りながらマニュアル作成したことを鮮明に覚えています。

翌年には航空機部品調達管理を目的とした「貯蔵品システム」が完成(担当は熊本さん)。

2007年に燃料担当へ異動し、2010年に貯蔵品システムを改造。骨組みを残しつつ、

装備品の修繕管理などの機能を追加して「資材管理システム」に改称しました。

この件でシステムに強いと勘違いされ、201371日付けで総務課へ異動、業務の一部として情報セキュリティを担当することになりました。

システム構築は数学的なので得意なのですが、入社して最初の経理担当を除き、なぜか私には前任者が常に不在で、

独学で担当業務を築かざるを得ませんでしたので、情報セキュリティは何が何だかさっぱりの状態でした。

しかし、こういった経験は開拓・改善力向上という大きな財産になったと確信しています。

世代的にデジタルに決して強くもない私が牽引していることには今でも違和感がありますが・・・。

この頃、2つの目標が芽生えていました。

1つは時間を要している総務課手作業のシステム化、もう1つは業務システムの一元化です。

今年度は健康診断や被服貸与をシステム化しており、そのシステムは資材管理と勤怠管理を構築したEAST2に組み込まれますから、

夢はようやく実を結びつつあるわけです。

成功者が共通して言っている成功の秘訣をご存知でしょうか。「どんなに時間がかかっても諦めなければ必ず成功する」そうです。

私はこの言葉にすがって業務を遂行していますから、少々しぶといかもしれません。

2022年から専従担当となった情報セキュリティについては、慣れない業務にも拘わらずしなければならないことが多かったため、

やらされ感満載でちっとも面白くなかったのですが、今年度は心を入れ替えて前のめりに臨んでいるため、

なかなか楽しいじゃないかと思えるようになってきました。

皆さんにメール文中のURLを安易にクリックしてはダメですよぉ!とお願いするだけでなく、

ネットワークを分割して有事の際には一部停止で済むようリスク低減できる仕組みも検討しています。

当社から情報が“漏えいした”と言う事象はステークホルダーの信頼を失いかねません。

西空が末永く栄え続けるためにも、「たかが情セキュ、されど情セキュ、さらに電子化」を念頭にこれからも諦めずに一生懸命頑張ってまいります!

新型コロナウイルス対応

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、201912月に中国湖北省武漢市で「原因不明のウイルス性肺炎」として確認され、

日本では20201月に第一例目が確認された。

そして政府の対策本部が設置されたのが2020326日。この日は奇しくも当社が移転し、奈多へリポートが開港した日でもあった。

その後間もなくして、政府から緊急事態宣言が発出され、当社においても対策本部を設置して全社統一的な感染対策や感染予防対策が

実施されることになった。

ソーシャルディスタンスや三密対策として、マスク着用の徹底、アクリル板や消毒液の設置、時差出勤や自宅待機制度の一時導入、

ユーティリティルームの利用制限による自席での黙食、出張や会食の制限等を行うこととなり、移転による事業所一体化でコミュニケーション

の活性化が期待されていたものの、思わぬ形で阻害されることとなってしまった。

一方で、対面形式で行っていた幹部メンバーによる朝ミーティングをWeb形式に移行し、業務中のコミュニケーションにチャット

Microsoft Teamsを活用するなど、社内のデジタル化が促進されるという思わぬ副産物をもたらした。

新型コロナウイルスは202358日に感染症法上の位置づけが第5類に引き下げられ、当社ではこの間に延べ約50名の従業員が感染

したものの、幸いにも重症化に至った従業員はおらず、また事業への直接的な影響が出ることもなかった。

5類移行後は、当社の感染対策も緩和し、懇親会や70周年の記念式典を開催するなど、かつての日常を取り戻しつつある。

今後も感染対策や体調管理には十分注意しつつ、社内コミュニケーションの活性化を図っていくこととしている。

 寄稿文

  創立70周年を迎えて

運航部 中川 裕博

  

ヘリコプターの起源といえばレオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチを思い浮かべる方も多いと思いますが、それから約500年後、

実用的なヘリコプターとして、ドイツのフォッケウルフFw61が完成したのは1936年(昭和11年)でした。

西日本空輸が創立したのは1953年(昭和28年)123日、わずか17年後です。

まだヘリコプターが身近になかった時代から現在に至るまで、当社の発展に貢献してこられた先輩方に改めて感謝申し上げます。

私の入社した頃は、ピストンエンジンからタービンエンジンのヘリコプターにすべて移行した直後で、

昔ながらの金魚鉢みたいなキャビンのヘリが徐々に減ってきていました。

業務内容は、薬剤散布、緑化、物輸など操縦士の技量によるところが多く、

また現場の方々との繋がりも(昼夜問わず?)深く、いろいろな意味で、かなり鍛えられた時代でした。

その後、ヘリコプターも進化を遂げ、双発機が主流となり、業務内容も報道、防災、ドクターヘリが中心となりました。

こうなると操縦士は職人気質の腕一本だけでは通用しなくなり、

クルーコミュニケーション、マネージメント能力を強く求められるようになりました。

かといって、技術力が求められないわけではなく、技術も磨きながら

CRMCrew Resource Management)スキルも身につけていくため、常に向上心を持って努力を重ねる毎日です。

現在当社は32年間、ヘリ搭乗者死傷事故ゼロを継続しており、これからも継続していかなければなりません。

また、高い操縦技術が求められた時代で育った方々が、退職されていく中、技術を次の世代に引き継いでいかなければなりません。

創立70周年を迎えて、安全運航、当社の発展のために貢献していかなければならないと、改めて強く感じています。